年未詳(室町時代後期)の横川宗興書状
「湖と人間」をテーマとする琵琶湖博物館では、琵琶湖の価値を世界に発信することを目標に、歴史系の学芸員も所属して文系と理系とを融合する研究が行われており、特別収蔵庫には多数の古文書(こもんじょ)や絵画作品が収蔵されています。そうした古文書の一つに重要文化財・「東寺文書」(107通)があります。
館蔵東寺文書は、京都駅の南にある教王護国寺(東寺)に伝えられた中世(平安時代から戦国時代)の古文書の一部で、江戸時代に御上神社(野洲市)の社家に移され、1996年に琵琶湖博物館の所蔵となったものです。東寺文書は「日本中世史」を研究するための最も基礎となる史料群で、東寺が所蔵する重要文化財のほかに、京都府が所蔵する国宝・東寺百合文書、京都大学が所蔵する重要文化財・教王護国寺文書などに分かれています。それらのなかで、琵琶湖博物館の東寺文書は、1点を除いて裏打ち(裏に紙を貼って丈夫にすること)がなされておらず、文書が作成された中世そのままの形で残されており、世界的にも大変貴重です。
今回紹介するのは、年未詳(室町時代後期)の横川宗興書状です。宗興は、東寺百合文書にはでてこない人物です。文面からだけでは詳しい事情はわかりませんが、赤沢新次郎に宛てたお手紙で、二枚の紙が用いられています。室町時代のお手紙は、本紙(ほんし)と礼紙(らいし)と封紙(ふうし、包紙ともいう)の三枚の紙を使うのが正式ですが、このお手紙では封紙は省略されています。礼紙とは、相手方への礼儀のために本紙に添えられ、本紙に重ねて奥から折り畳まれる紙で、いまでもお手紙を送るときに、もう一枚白紙の便箋を添えることがありますが、これは中世の礼紙の名残です。
さらにこのお手紙からは興味深いことがわかります。それは封の仕方です。室町時代には、現在のような封筒はまだなく、封紙で包むのが正式な封の仕方でしたが、封紙を用いず、本紙と礼紙自体に封をする略式の方法もありました。その方法の一つが切封(きりふう)です。その方法とは、本紙と礼紙とを重ねて左から右へ巻き、本紙の右端を数ミリ、上部を四分の一ほど残すように下から切りはなし、その部分をヒモの代わりにして、お手紙をくくるというものです。最後に、結び目に墨で封をします。墨で引いた封の跡は、「切封墨引」(きりふうすみびき)といいます。
通常、切封の帯は残されません。封を開ける時に切り捨ててしまうためです。しかしこのお手紙にはその帯が、恐らく偶然に、残されているのです。帯の墨引きの跡も微かにわかります。これは、切封という室町時代のお手紙の作法を今に伝える極めて貴重な史料なのです。
東寺文書は、第23回学芸員のこだわり展示「重要文化財・琵琶湖博物館所蔵東寺文書展
室町時代のお手紙の作法―礼紙(らいし)と封紙(ふうし)―」(開催期間:2024年5月21日~7月28日)でも原本を紹介していますが、目録・画像・翻刻が東京大学史料編纂所のホームページで紹介され、世界中どこにいても、いつでも画像をみることができます(https://wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/)。そして、琵琶湖博物館の歴史学研究を世界的な水準とすることを支えているのです。
滋賀県立琵琶湖博物館専門学芸員 橋本道範