琵琶湖の西岸にそびえ立つ比叡山は、伝教大師最澄が延暦寺を創建して以来、日本有数の霊峰として人々の信仰を集めてきました。比叡山の東塔地区にある比叡山国宝殿は、延暦寺所蔵の国宝・重要文化財などの貴重な文化財を保管、公開する施設として1992年に開館しました。
さて、本年はNHK大河ドラマ「光る君へ」が大変話題となっています。滋賀県には紫式部ゆかりの寺社、名跡が多くありますが、実は延暦寺も紫式部と大変ゆかりの深いお寺ということをご存知でしょうか。今回は延暦寺にある名品の中から、紫式部が仕えた中宮・藤原彰子(988~1074年)が発願した国宝「金銀鍍宝相華文(きんぎんとほうそうげもん)経箱」(京都国立博物館寄託)を紹介したいと思います。
比叡山の北に位置する横川は、第三代座主円仁が、10年近く入唐した後に横川中堂(根本観音堂)を創建したのが始まりとされています。円仁は入唐の前年、横川の地で四種三昧(ししゅざんまい)を修して法華経の書写を行い、この経を如法経として如法堂に安置されたのでした。そして1031年、横川の僧・覚超が円仁の如法経を、弥勒が世にあらわれるまで伝えるべく、銅筒に保管しました。この時、中宮彰子は天皇の安泰と国民の安寧を祈って法華経の書写を発願し、経箱と共に覚超の銅筒に納められたのでした。その後、如法堂付近の地中に埋納されましたが、1923年、如法塔再建のため工事していたところ、土中から銅筒が掘り出されました。42年、惜しくも横川中堂の落雷火災で銅筒は焼失しましたが、幸いにも彰子発願の経箱だけは難を逃れたのでした。
この経箱は銅製で、全面に宝相華唐草文を蹴け彫りし、蓋(ふた)の中央には経題の「妙法蓮華経」の五文字を刻み、文様部分は鍍金(ときん)、地の部分は鍍銀が施されています。このように経箱の表面は宝相華で厳かに装飾されていますが、一転して裏面は小花文がちりばめられています。精緻な宝相華とかわいらしい花文が対比的であり、上品で優雅な趣を漂わせています。
ところで『源氏物語』では、宇治で入水を図る浮舟を助ける人物として「横川の僧都」が登場しますが、そのモデルが比叡山の学僧・源信ではないかといわれています。源信は横川の恵心院で『往生要集』を執筆し、地獄や極楽の死生観、阿弥陀(あみだ)の極楽浄土への念仏往生の重要性を説いた、比叡山を代表する学僧の一人です。そんな源信の盟友であった慶滋保胤(よし、しげの、やす、たね)は念仏結社「勧学会」を主導した人物で、紫式部の父・藤原為時とも親交がありました。人間の苦悩や罪業を描いた『源氏物語』は仏教思想の影響を強く受けており、紫式部自身も横川や源信の浄土思想に強い関心を懐いていたのかもしれません。横川は国宝殿がある東塔から車でおよそ10分、歴史の息吹を感じつつ散策してみてはいかがでしょうか。
比叡山国宝殿