川田遺跡出土の馬形埴輪(はにわ)
守山市立埋蔵文化財センターは、野洲川改修工事の際に発見された服部遺跡の発掘調査を契機として、1980年11月に守山市服部町で開館しました。
現在当館では、12月15日までの会期で秋季特別展「発掘調査から見た古墳時代の情景」を開催しております。今回は展示品の中から川田遺跡出土の馬形埴輪(はにわ)を紹介いたします。

馬形埴輪は、87年に工場建設に伴う川田遺跡の発掘調査で検出した全長20㍍足らずの古墳の周濠(しゅうごう)から出土したものです。現存する頭部からは復元全長90㌢以上の大型の埴輪が推定されます。馬のたてがみはまっすぐに刈り込まれ、頭頂部で結わえられており、口の両脇にはくつわが外れないように実用的な素環鏡板が付けられ、そこから後方に引手と手綱、鞍(くら)が装着されていたことがわかります。また、くつわと鏡板を固定するベルトやその交点に付けられた辻金具も丁寧に表現されています。安土城考古博物館で昨秋開催された特別展「馬でひも解く近江の歴史」にも出陳され、数ある馬形埴輪にあっても秀逸の一品とされています。
この馬形埴輪は、古墳に葬られた首長の乗用馬をモデルとする向きもありますが、もしそうであれば、豪華な馬具を装着し闊歩(かっぽ)する馬にまたがる首長の姿は、絶大な威光を遺憾なくアピールしたことでしょう。

「魏志倭人伝」には、「其地無牛馬虎豹羊鵲」と記されており、弥生時代の日本列島には馬はいなかったことが分かっています。しかし古墳時代中期の5世紀になると、韓式系土器や様々な新来文物とともに馬も渡来文化のひとつとしてもたらされます。そして渡来人の指導の下、飼育、繁殖のため牧場(牧)が置かれるようになり、日本にも馬匹文化が興ります。
さて今秋より、名だたる弥生史跡35遺跡で連携する「弥生の御朱印巡り」に当館も新規参入しました。守山市では、服部遺跡の他に昨年11月にオープンした伊勢遺跡史跡公園と多重環濠遺跡の下之郷史跡公園が弥生史跡第28番~30番で登録しています。
秋季特別展の会期は残り僅かとなりましたが、おススメの馬形埴輪をはじめ、守山市内出土の古墳時代の貴重な遺物をわかりやすく説明しておりますので、御朱印集めかたがた、ぜひご来館ください。お待ちしております。
現在当館では、12月15日までの会期で秋季特別展「発掘調査から見た古墳時代の情景」を開催しております。今回は展示品の中から川田遺跡出土の馬形埴輪(はにわ)を紹介いたします。

馬形埴輪は、87年に工場建設に伴う川田遺跡の発掘調査で検出した全長20㍍足らずの古墳の周濠(しゅうごう)から出土したものです。現存する頭部からは復元全長90㌢以上の大型の埴輪が推定されます。馬のたてがみはまっすぐに刈り込まれ、頭頂部で結わえられており、口の両脇にはくつわが外れないように実用的な素環鏡板が付けられ、そこから後方に引手と手綱、鞍(くら)が装着されていたことがわかります。また、くつわと鏡板を固定するベルトやその交点に付けられた辻金具も丁寧に表現されています。安土城考古博物館で昨秋開催された特別展「馬でひも解く近江の歴史」にも出陳され、数ある馬形埴輪にあっても秀逸の一品とされています。
この馬形埴輪は、古墳に葬られた首長の乗用馬をモデルとする向きもありますが、もしそうであれば、豪華な馬具を装着し闊歩(かっぽ)する馬にまたがる首長の姿は、絶大な威光を遺憾なくアピールしたことでしょう。

「魏志倭人伝」には、「其地無牛馬虎豹羊鵲」と記されており、弥生時代の日本列島には馬はいなかったことが分かっています。しかし古墳時代中期の5世紀になると、韓式系土器や様々な新来文物とともに馬も渡来文化のひとつとしてもたらされます。そして渡来人の指導の下、飼育、繁殖のため牧場(牧)が置かれるようになり、日本にも馬匹文化が興ります。
さて今秋より、名だたる弥生史跡35遺跡で連携する「弥生の御朱印巡り」に当館も新規参入しました。守山市では、服部遺跡の他に昨年11月にオープンした伊勢遺跡史跡公園と多重環濠遺跡の下之郷史跡公園が弥生史跡第28番~30番で登録しています。
秋季特別展の会期は残り僅かとなりましたが、おススメの馬形埴輪をはじめ、守山市内出土の古墳時代の貴重な遺物をわかりやすく説明しておりますので、御朱印集めかたがた、ぜひご来館ください。お待ちしております。
守山市立埋蔵文化財センター調査員 沖田陽一