滋賀県の指定文化財の梵鐘 愛荘町立歴史文化博物館
湖東三山の一つである金剛輪寺は、聖武天皇の勅願により天平13年(741)、行基によって開山したお寺であり、本堂は国宝、三重塔や二天門などは重要文化財に指定されています。そのお寺の風景に溶け込むようにして建てられ、お寺の総門から参道を少し上がったところにある建物が愛荘町立歴史文化博物館です。
当館の敷地内には日本庭園と能舞台があり、毎年5月の連休初日には「春の芸能鑑賞会」が行われます。春の芸能鑑賞会には、当館の事業の一つである「子ども能楽教室」で指導していただいている先生と生徒による能の披露や、町内にあります県立愛知高等学校の吹奏楽部による演奏などがあり、毎年多くの方々が鑑賞されます。
当館は建物二つで構成された博物館です。一つはいざないの館(展示棟)、もう一つはいにしえの館(管理棟)になります。いざないの館には回廊が巡らされ、当館敷地内の日本庭園と能舞台から四季の移ろいを楽しむことができます。特に秋の紅葉の時期には、金剛輪寺の山々が紅葉に染まり、多くの方々が紅葉の写真を撮りに参拝に来られます。
さて当館では、入り口を入ってすぐのところに梵鐘を展示しています。この梵鐘は鎌倉時代の乾元二年(1303)に鋳造され、高さが138㎝、口径が82.2㎝、重量が600㎏で金剛輪寺から寄託している梵鐘であり、滋賀県の指定文化財になっています。この梵鐘は河内国但南郡黒山郷(現在の大阪府堺市美原区黒山地区)の河内助安によって鋳造されたとのことです。梵鐘には銘文が刻まれています。
近江国愛知郡の金剛輪寺に一口鋳造奉る。承元年間に鐘を造ったが、乾元の今、改めて鋳造することとなった。撞木(楗槌)でこの鐘を打つと多くの人が集まり来て、鐘の音により全ての人々の苦は氷が溶けるように消え去る。智慧(般若)のしるしとして、寺僧は鐘を鳴らす。天地は永遠で尽きる時期がない。万民は仏縁を結ぶことにより、その願いを成就することができる。(当館梵鐘解説パネルを引用)
と刻まれています。この銘文から当館に寄託された梵鐘(乾元鋳造)の前にも承元(1207-1211)の時期に一度鋳造されていたことがわかります。
また当館では、普段は公開していない史料ですが愛知郡役所に保管されていた史料群を所蔵しています。郡役所が愛荘町に移管されるに伴い、この史料群も移管されてきました。郡役所の史料は全国的に現存数が少なく、史料群としてまとまって保存されているのは珍しい状況です。この史料群から当時の愛知郡全体の様子を断片的ではありますが、伺うことができるものとなっています。
史料群の名称は「旧愛知郡役所所蔵文書」でありますが、旧愛知郡役所の史料から、様々な団体の史料も混在して残されています。混在している理由として、郡役所の建物は大正11年(1922)から大正15年までは郡役所として使われてきました。しかし大正15年7月に郡役所が廃止に伴い愛知郡教育会へ移管され、その後様々な団体が活用してきたため、その団体の史料も一括して残されています。
この史料群の中には、現在の愛知高等学校の前進である女学校時代の史料も残されており、全国的に珍しい刺繍科が設置されていた高校であり、当時の学校に関する状況も伺うことができる史料群となります。
愛荘町立歴史文化博物館 学芸員 新木 慧