「福助さん」米原市柏原宿歴史館
「福助さん」米原市柏原宿歴史館は、染料関係の商いで財を成した松浦良平氏が、1917(大正6年)に建立した建物です。松浦氏は、肥前の国(佐賀県)から当地に移り住み、江戸時代には艾(もぐさ)屋を営んだ一族として知られています。
建物は、栂(とが)と木曽檜(ひのき)を多用し、幾重にも重なる入母屋(いりもや)の屋根が美しい書院造りとなっています。柏原の近くの清滝(きよたき)には、かつて京極氏の庇護を受けた大工集団があり、この建物も清滝の大工棟梁が建てたものです。1998年4月、松浦氏より寄付を受け、江戸時代に中山道の宿場であった柏原宿を紹介する歴史館としてオープンしました。建物は国の登録有形文化財です。
柏原宿にゆかりの資料は豊富に伝来しています。中でも柏原宿の295年間のさまざまなできごとを記録した『萬留帳』(よろずとめちょう)66冊は、翻刻(ほんこく)作業が終わり、全十冊として刊行・販売しています。
今回、歴史館の名品としてご紹介したいのは、「福助さん」です。大きな頭と福耳で、裃(かみしも)を着けて正座する「福助さん」。誰もが知っている福助さんですが、そのルーツは明確ではありません。ただ、旧柏原宿にその姿をとどめる伊吹艾本舗「亀屋佐京」は、福助さんの有力なルーツの一つです。
「亀屋佐京」は現在も艾(もぐさ)を商いとされていますが、艾で一家を興した初代佐京(天明二年・一七八二~嘉永三年・一八五〇)は、持てる才覚で財を成し、文化六年(一八〇九)には街道に面した広大な現在地を購入して屋敷を構えました。その「亀屋佐京」の忠実な番頭だったのが、福助さんでした。福助さんは、店の家訓(かくん)をよく守る正直者で、いつも裃(かみしも)を着け、扇子(せんす)を手放さず、道行く旅人に手招きして艾をすすめ、商売が繁盛したといいます。
福助さんが亡くなると、大小の商いに関係なく丁寧(ていねい)に対応する福助さんの姿は商売の鏡であるとして、大きな福助像を店舗に設(しつら)えました。現在も「亀屋佐京」の店内には、天井までとどきそうな大きな体の福助さんが、往来を眺めています。
また、伊吹艾本舗「亀屋佐京」の店舗風景は、浮世絵師の歌川広重(うたがわひろしげ)によって天保六年~八年(一八三五~三七)頃に『木曽海道六十九次』の「柏原宿」として描かれており、店内の右端には福助さんが現在と変わらぬ姿で存在しています。
こうしたことから柏原宿歴史館では福助さんの収集に努めており、これまでも本宅二階に「福助の間」を設けて福助人形七三点のほか、福助が描かれている引札(ひきふだ)などを展示してきましたが、令和元年に古式の福助人形を中心とする多量の資料をご寄託いただいたのを期に、さらに一三二点の福助人形を加えて、合計二〇五点からなる「福助さん大集合!」を常設展示しています。
米原市柏原宿歴史館 館長 谷口徹