ミヤイリガイの標本 守山市ほたるの森資料館

ミヤイリガイの標本
 守山市ほたるの森資料館では、主にゲンジボタルにまつわる展示をしています。今回は当館が所蔵する守山が輩出したホタル研究家である南喜市郎の遺品のなかから「ミヤイリガイの標本」を紹介します。ミヤイリガイまたはカタヤマガイ(宮入貝または片山貝の2つ名前があります。)と呼ばれる巻貝の標本を写真に示します。ホタルに詳しい人は、カワニナか?と思われるかもしれません。この巻き貝は大人の貝になっても長さが1cmにもみたない大きさで、カワニナに比べるとかなり小さめです。標本に入れられた紙には「昭和32年岡山県片山地方にて採集」とあります。この貝の標本がどのような意味を持つかについてはまず、寄生虫を病原とした地方病のことを記さねばなりません。かつて日本には岡山県、広島県、山梨県などの一部地方に、日本住血吸虫が原因の寄生虫病がありました。これは日本住血吸虫の幼生が皮膚から直接体内に入ることにより発病し、皮膚のひどいかゆみから始まって最終的に肝硬変になり、お腹に水がたまってパンパンに肥大し動けなくなり死に至るという深刻な症状を呈する病気です。日本に寄生虫学ができたばかりの明治時代は、この病気の原因がまったくわからず、多くの実験と研究の果てに、日本住血吸虫という新種の寄生虫が発見され、それが病原と判明しました。さらにその幼生が人間の体内に入る前の中間宿主としてミヤイリガイを利用するということが九州大学名誉教授、宮入慶之助により1913年に発見され、彼の名をもってミヤイリガイと呼ばれます。ミヤイリガイが中間宿主ということは、この貝がいなくなれば病気をなくすことができるということから、これ以降各地のミヤイリガイの生息地で、その殲滅を目的とした事業が実施されました。この貝は強力な繁殖力をもっているために対策は大規模なものになり、田んぼのすべての水路をコンクリートの直線水路にする、石灰や薬品を散布する、火炎放射で焼き尽くすなどの方法がとられました。また生物を使った駆除方法も考案され、そのなかにゲンジボタルやヘイケボタルの幼虫を対象水域に放流し、ミヤイリガイを捕食させるというものがありました。南喜市郎は自身の著書「ホタルの研究」のなかでわざわざ項をさいてこれに言及していますし、ホタルを研究していた医学博士、原志免太郎も1940年にこの方法についての実験を発表しています。ですから実際にホタルの幼虫を用いた駆除が行われた地域があったのでしょう。南喜市郎がこの標本を持っていたのには、ホタル研究家として喜市郎にカワニナのようにゲンジボタル幼虫が捕食するのかと関係者が問い合わせにきたとか、喜市郎本人が自分の研究のために採取したというようなことがあったものと思われます。ミヤイリガイは長年にわたる撲滅運動の結果、現在日本のレッドデータ検索システムを見ると「絶滅」となっています。この標本が採取された岡山県内においては1955年の報告を最後にいなくなったとあり、これはとても貴重な標本といえましょう。

守山市ほたるの森資料館 館長 古川道夫

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