一貫斎 発明の歩みに迫る 国友鉄砲ミュージアム

一貫斎 発明の歩みに迫る
 1987年10月「国友鉄砲の里資料館」(今では「国友鉄砲ミュージアム」を愛称として使用)はオープンし、火縄銃に特化したユニークな資料館として注目を浴びて約38年が経過しました。今までに約37万人の方々に入館していただいています。
 国友鉄砲ミュージアムが紹介する名品は、国友一貫斎の発明考案品を複製したものです。
 反射望遠鏡は、国友鉄砲研究会会長、広瀬一実さんが1999年に複製しました。そのとき国友一貫斎の反射望遠鏡制作の原点は火縄銃制作にあることを確信したそうです。
 複製品の第1号は反射望遠鏡でしたが、これを制作した廣瀬さんが国友鉄砲研究会のメンバーに呼び掛けて国友一貫斎科学技術研究会を立ち上げ、主に国友の人たちが複製制作を進めました。
 国友一貫斎の制作した「懐中筆」・「玉燈」・「飛行機」・「ねずみ短檠(たんけい)」などを複製するに当たって、長浜城歴史博物館、京都大学の工学・天文学・蘭学史の専門グループとの共同研究が行われました。
 複製の過程で国友一貫斎が今から約200年前に、工作機械などがない中でどのようにして作ることができたのか、またいろいろな部品を作るための道具までも作っていたことを知り、何を求め、どのように苦労をしたかがわかり、一貫斎に対する見方がより深まっていきました。
 ここでは主な複製展示品についてご紹介します。
 「玉燈」は1回の給油で長時間明かりを確保でき、火縄銃で使う火縄の綿心を使用しているところやガラスを使っているところが画期的です。廣瀬一實さんを中心に作りました。
「ねずみ短檠」は水戸徳川家に納品されたものと考えられますが、いまは同家には現存していません。ただ「諸物会要」という図面にもとづいて復元されましたが、ねずみの口から油がしたたり落ちて火皿に給油するもので、江戸時代のあんどん「に比べて長い時間使えます。一貫斎は玉燈にしてもねずみ短檠にしても、明かりに強い関心があったことがわかります。富岡貞治さんを中心に作りました。
 「阿鼻機流大鳥飛術」は江戸時代に日本人が描いた唯一の飛行機図面として大変貴重なものです。これを立体化するために実寸で作ればどうなるか、2分の1ではどうか、10分の1ではどうかなど研究会の中で議論され、今の展示品が鈴木健市さんによって作られました。
 これらの複製を作るために国友一貫斎家に伝わるたくさんの文書類が大いに役立ちました。
 こうした複製の取り組みや長浜市の国友一貫斎家の資料調査を経て、2023年6月27日に官報告示を持って「国友一貫斎関係資料」953点が重要文化財となりました。
 館内展示の火縄銃や鉄砲鍛冶道具、火縄銃に関わる関連品の多くは地元の方々が所蔵しておられるもので、それらを本館に寄託していただき展示しています。その数は200点以上になります。
 その展示とともに国友一貫斎の複製作品にも目を向けていただければ、また新しい発見があるのではないかと思います。
 鉄砲の里国友では国友鉄砲ミュージアムを軸にした集落景観づくりが進んでいます。中央通りは電柱がなくモニュメントや司馬遼太郎と吉川英治の文学碑も設置されています。また鍛冶屋敷跡の石柱も45カ所設置されており、国友を歩く楽しみがあります。
 

国友鉄砲ミュージアム  館長・川上幸夫

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