雲鶴文様 技も鮮やか 滋賀県立陶芸の森

「雲鶴文様 技も鮮やか」
 県立陶芸の森は1990年に開設された、やきものを専門とする総合施設です。小高い丘陵地を造成した広大な園内には、美術館(陶芸館)をはじめ、次代の作家を育成する滞在型研修施設・創作研修館、信楽焼産地製品の今を紹介する信楽産業展示館が点在。「やきもの×アート×自然」をコンセプトに、それぞれの機能と特性を活かした多彩な企画事業を展開し、滋賀が誇るやきもの文化の魅力を信楽から世界に向けて発信しています。

 陶芸館では、日本・海外の現代陶芸、滋賀(近江)ゆかりやきもの、クラフトと陶磁デザインなどを柱に、これまで約1800件の作品を収蔵してきました。現代陶芸や滋賀(近江)関連のコレクションに定評があり、国内外の主要な企画展・巡回展などへの貸し出しも豊富な実績を誇ります。とくに創作研修事業で招へい作家が滞在中に制作した作品群は、信楽の伝統や人々との出会い、そして交流のなかで生まれた他に例のないコレクションとして高く評価されています。
 今回は当館所蔵の近江の古陶磁から、大津に花開いた名窯・湖南焼(1851-1854)の名品を紹介します。近江八景のうち七景を擁する大津は、古くから湖国を代表する景勝地として親しまれ、さまざまな文人墨客が地元の人士との交流のなかで創作活動を展開してきました。石山寺座主・尊賢僧正の御庭焼「石山焼」を指導した仁阿弥道八(1783-1855)をはじめ、京都に程近い大津には京焼の陶工が関与したという陶窯も少なくありません。
  永樂保全(1795-1854)が晩年に三井寺円満院門跡・覚諄法親王の支援で開いた湖南焼も、そうした陶窯のひとつです。保全は千利休好みの茶道具を手掛けた西村善五郎家の十一代当主で、大名家や宮家・摂関家などに招かれて御庭焼を指導、名工としての地位を確立しました。明治時代に入り本姓とした「永樂」の陶号は、偕楽園御庭焼への出仕の際に紀州藩主徳川治寶から「河濱支流」の金印とともに拝領した「永樂」の銀印に由来します。
  この「金襴手内染付雲鶴文鉢」は優美で落ち着いた趣をもつ、保全独特の作風を示す名品のひとつ。赤絵具を全体に施した外側に金襴手で雲と鶴が、見込みには染付で松竹梅などが描かれています。金泥を用いた針彫りで描いた鶴の翼などに認められる細やかな表現は、まさに名工に相応しい技といえるでしょう。当時の文人趣味の流行を反映した有職文様や吉祥文様の意匠構成とともに、非常に格調の高い作品に仕上げられています。

  当館が所蔵する湖南焼には、大津の歌人・伊東颯々(1782-1858)に祝いの品として贈るという言葉を共箱の蓋裏に記した作品もあります。晩年は多額の負債などが原因で息子と和全と不和が生じ、各地で仮住まいするなど不遇な生活を送った保全ですが、地元の文化人との交流のなかで心温まるひと時を過ごした往時の姿がしのばれます。今回ご紹介した作品は、近江の古陶磁を味わう…湖国の料理とともに展(3/15-6/22)に出品します。

滋賀県立陶芸の森 専門学芸員 鈎(まがり)真一

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