令和3年度 夏季特別展「愛智河架橋略史― 無賃橋と御幸橋 ―」愛荘町立歴史文化博物館

 江戸時代、頻繁に洪水を引き起こす「暴れ川」として知られていた愛知川。
当時、人々は愛知川を渡るために、川渡しを業とする川越人足や仮設の橋
(勧進橋)を利用していましたが、路銭を持たない旅行者は自力で川を渡ろ
うとし、水かさの増した急流に飲まれ溺死する事例がしばしば起きました。
当時の愛知川が「人取り川」の異名を取る由縁です。
 天保2年(1831)、中山道愛知川宿の成宮弥次右衛門(忠喜、1781-1855)
は、近村の素封家らとともに、銭を払えない人々でも渡橋できる無賃橋(太
平橋)を愛知川に架橋します。架設資金の調達や金銭的補償など、橋の完成
までの道のりは険しかったものの、渡橋式は大勢の人出で賑わいました。
 展覧会では、無賃橋の架設にまつわる古文書や絵巻のほか、その系譜に連
なる「御幸橋」に関する資料を展示します。また、弥次右衛門の妻である八
千代の姉で、江戸時代後期の「桜花の女流絵師」織田瑟々(1779-1832)の
作品もあわせて公開します。

◆愛荘町立歴史文化博物館ホームページ◆
https://www.town.aisho.shiga.jp/hakubutsukan/

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