花の街道文化 伝える至宝 大角家住宅旧和中散本舗

梅ノ木立場 にぎわいに一役


 左のかたにはじめて梅の木和中散といへるみせあり。聞きしにも似ず小さなるみせと思ふに、又おなじみせあり。二軒目。三軒目のみせよろし。四軒目(欄外。四軒め、根元いゑ、定歳)これにつぐ。嶋林定歳としるせり。五軒目を本家ぜさいといふ。

大田南畝『改元紀行』より

 江戸時代中期から後期にかけて活躍した文人・大田南畝(蜀山人)(1749~1823)は、元号が寛政から享和に改められた1801年に、幕府の役人として江戸から大坂へと赴任しました。その際の日記『改元紀行』には、東海道の梅ノ木立場(たてば)(栗東市六地蔵)についても記されています。

 東海道の石部宿、中山道の守山宿、そして東海道と中山道が合流する草津宿に囲まれた現在の栗東市域には、宿場は置かれていませんでした。しかし、宿場と宿場の間の休憩所である立場が三カ所に設けられており、梅ノ木立場もその一つとして知られていました。

 茶屋や軽食を提供する店が立ち並ぶ立場は、街道を行き交う人々が一息つける場所として親しまれていました。それぞれの立場には名物があり、単なる通過点ではなく、人々が交流し、土地の特色を体感できる場として旅の楽しみを彩っていたのです。また、立場は街道沿いの旅を豊かにし、街道文化を支える重要な役割も果たしていました。

 梅ノ木立場には、漢方薬「和中散」を製造・販売する和中散屋が軒を連ね、その名は広く知られていました。南畝は、その名声に対して、1軒目と2軒目の和中散屋について「どちらも小さな店であった」と記しています。そして、3軒目の和中散屋については「よろし」と評価しており、この3軒目の和中散屋こそが、唯一現存する和中散屋である大角家住宅旧和中散本舗です。『改元紀行』ではさらに、4軒目・5軒目の和中散屋の存在を伝えています。これらはそれぞれ嶋林家・織田家という和中散屋で、大角家も含め、それぞれが精力的に和中散を取り扱っていました。このことは、梅ノ木立場ににぎわいをもたらすとともに、梅ノ木立場の和中散を全国に広める大きな原動力となったことでしょう。

 唯一現存する大角家住宅旧和中散本舗は、現役の住宅でありつつ、建物は国の重要文化財、庭園は国の名勝に指定され、この地で花開いた街道文化を現在に伝える至宝として、一帯が国の史跡に指定されています。近年は、春と秋に特別公開が行われていますので、ぜひ、かつての立場のにぎわいを感じにお越し下さい。

栗東歴史民俗博物館学芸員・中川敦之

PAGETOP