三橋節子美術館は三井寺に近い長等(ながら)公園内にあり、緑に囲まれ、四季の移ろいがよく感じられる場所で、長等ゆかりの夭折の画家「三橋節子」の絵画を展示しています。
三橋節子と三井寺(園城寺)は、彼女の生涯と作品において深いつながりがあります。
三橋節子は1968年、結婚を機に京都市左京区から大津市長等に居を移しました。この居宅は、三井寺にほど近い長等公園の傍らにあり、琵琶湖を望む静かな環境です。
彼女の作品の一つに「三井の晩鐘」があります。

「三井の晩鐘」は近江八景の一つで、三井寺の夕暮れの鐘の音を表す言葉です。その三井寺の鐘の音は「天下の三名鐘」の一つとして知られています。
「三井の晩鐘」の民話では、琵琶湖に住む龍神の娘が人間の漁師と恋に落ち、夫婦となり子を授かります。しかし、龍神の娘は龍宮へ帰らなければならなくなり、子供を残して湖に帰ってしまったのです。子供が母親を恋しがって泣くので、娘は自分の目玉をくりぬいて与え、乳の代わりにさせます。両方の目を失った娘は、夫に毎晩、三井寺の鐘をつくように頼みます。鐘の音を聞いて、我が子と夫の無事を確認するためでした。
三橋節子が73年9月にこの絵を描いた背景には、彼女自身の悲しい出来事がありました。34歳の時、右肩鎖骨に腫瘍が見つかり、画家にとって命ともいえる右腕を切断せざるを得なくなったのです。さらに、余命いくばくもないことを自覚していました。幼い子どもを残して逝かなければならない母親としての深い悲しみを、民話の龍神の娘の悲しい運命に重ね合わせて描いたと言われています。
「三井の晩鐘」は、悲しくも美しい伝説を独特のタッチと色彩で表現しています。龍神の娘が琵琶湖に帰っていく姿は、幼子を残して逝く自身の姿と重ねられ、民話の持つ切なさや、母と子の別れの悲しみ、そして残された人たちの寂しさが深く表現されていて、見る人の心を強く打ちます。この絵は、彼女が右腕を失ってわずか半年後に、渾身(こんしん)の力を込めて完成させた大作です。

三橋節子は、「三井の晩鐘」のほかにも、三井寺の祭礼を描いた「千団子さん」や三井寺にまつられる鬼子母神となる前を描いた「鬼子母」など地元の名刹(めいさつ)・三井寺にゆかりの作品を制作しています。これらの作品からも彼女と三井寺の深いつながりを垣間見ることができます。
現在、三橋節子美術館では、彼女が描いた「三井の晩鐘」を鑑賞することができます。精いっぱい生きて描いた努力と、描きたいという気持ちに込めた彼女の絵画は今も生き続けています。その作品と生涯は多くの人々の心を動かし、人間の素晴らしさを教え、生きる勇気を与えてくれます。
当館は、5月27日に開館30周年を迎えたばかりです。記念企画として、京都府から絶筆の「余呉の天女」などをお借りし、7月27日まで企画展を開催中です。
<三橋節子美術館館長・井口敏行>

