
かつて丸い粒状の薬のことをガンジといい、丸薬を作る専門の職人のことをガンジヤと呼んでいました。丸薬の製造は特に熟練の技が必要とされ、戦前にはガンジヤさんは製丸機を携えて製薬所を渡り歩き、ガンジヤさんに来てもらうとなると寝泊まりする部屋を準備し、食事を出し、手厚く接したと伝わります。
ガンジヤさんの仕事は生薬の原料を薬研(やげん)で細かくすりつぶすことから始まります。フルイにかけて選別し、乳鉢に入れてさらにすりつぶし、こうして粉になったものを陶器製のベニ鉢に入れて、数種類の薬剤と混ぜ合わせます。バラバラにならないように、つなぎ剤として寒梅粉を入れ、水を加えて手で捏(こ)ねていきます。この水加減と捏ねが大変難しく、柔らかすぎず、また固すぎずちょうどよい柔らかさが求められ、それには熟達した経験が必要でした。

水は寒の水が良いとされました。寒い時期の水は細菌などが繁殖しないからです。製丸機ができるまでは金属製の丸い型枠に手で薬剤を押し込んで作っていましたが、大量に製造しようとするとこれでは間に合いません。そこで登場したのが足踏み式製丸機です。一説によれば製丸機が誕生したのは1887年ごろ、富山で発明されたといわれ、当時としては画期的な器具でした。
足踏み式製丸機の構造は、井桁状にがっしりと組まれた木枠の中程に、下部に丸い穴がたくさん開いた真鍮(しんちゅう)製の容器を据え付け、これを桝(ます)と呼んでいます。ここに粘土状に捏ねた薬剤を均一に押し込みます。軸部に差し込まれた棒の先端の輪っかに足先を引っ掛け、圧力棒を徐々に押し下げると荒縄を巻き付けた滑車が回転して厚板が下がり、その圧力で桝に詰めた薬剤が小さな穴から、トコロテンのように押し出されます。数ミリ押し出されたところで、金属製のヘラで切り取り、四角い板の上に素早く何列も均等に並べていきます。これを丸めるために上からもみ板を両手で持ってバンと乗せ、少し浮かせて円を描くように丸めると一度に何百個という丸薬が出来上がりました。
丸めるための力加減が一番の腕の見せどころで、もみ板にはモスリンの布が貼られ、貼り付かないように食用油が塗られています。細かな奇応丸や六神丸、赤玉はら薬、万金丹、そして萬病感応丸などがこの器具で製造されていました。
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当館で展示されている足踏み式丸薬製造機がいつ作られたかは明らかではありませんが、おそらく昭和以前のものでしょう。日野町の指物屋が製造したと伝わり、実際甲賀の製薬会社で25年ほど前まで使われていました。現在は完全に自動化された機械にとって変わり、これを使う職人さんもおられなくなりました。かつて手造りで製薬していた時代の様子を今に伝える貴重な器具といえるでしょう。
甲賀市くすり学習館館長・長峰透
