古墳と王権、出土品身近に 高島歴史民俗資料館

石棺や副葬品、手作りで復元

  高島歴史民俗資料館は1981年10月8日に開館した郷土史系資料館です。当初は、高島町内の考古資料、民俗資料、歴史資料を展示し、鴨稲荷山古墳(県指定史跡・稲荷山古墳)、鴨遺跡(平安期の地方官衙(かんが)跡)、大溝城(織豊期城郭)、大溝陣屋(近世陣屋)を中心に展示をしていました。
 
 2005年1月1日に高島市が誕生してからは、市内出土考古資料を展示して今日に至ります。鴨稲荷山古墳が北150メートルに位置することから、特にこの古墳の関連展示については見学者が多くみられます。

 古墳の発見は1902年8月9日の県道工事に伴うもので、その後、22、23年に現在の京都大考古学研究室が学術調査に訪れて大部な「近江国高島郡水尾村の古墳」を刊行し、この古墳の解明に大きく貢献しました。

 実は、継体大王(第26代継体天皇)は「日本書紀」に「近江国高島郡三尾別業(みおのなりどころ)」で生まれたと記されており、高島との関連が古くから説かれ、また伝承地も多くあります。古墳の発見により、なお一層関連が大きくなってきました。古墳の発見が一つの大きな象徴ともなりました。

 しかし、古墳の主体部である横穴石室と家形石棺から出土した豪華な黄金の副葬品類などは、東京国立博物館、京大総合博物館に収蔵されて、地元には家形石棺と墳丘の一部を残す県史跡があるのみでした。
 
  当館が開館して後、古墳の近くに位置する関係から、古墳見学と連動する人が多いことに鑑み、初代館長が実寸大の家形石棺を制作し、現地ではのぞくことも不可能な石棺内部まで復元しました。来館者の要望に応える形の手作り復元展示を完成させ、約40年たった今も見学者に供されています。

 今では、金製の耳飾、金銅製の宝冠、飾履(かざりくつ)などのレプリカも整えて見学者をお待ちしております。昭和、平成、令和と見学者を見続けている展示物群であります。

 毎年秋になりますと、1619(元和5)年に伊勢上野(津市)から大溝に入府した分部(わけべ)光信公にちなんで、大溝藩関連の展示を行っています。今年度は「大溝城から大溝陣屋へ」と題して古絵図を参考にしながら、1578(天正6)年、信長の甥にあたる織田信澄が築城した大溝城と、大溝陣屋の位置関係を示す展示を実施しました。

高島歴史民俗資料館学芸員・白井忠雄

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