「山伏経験」生かし、山中は地の利
忍びといえば、2023年のNHK大河ドラマ「どうする家康」では俳優の山田孝之さんが人間味のある服部半蔵を演じておられました。少しコミカルでありながらも、ここぞという時にはクールな忍びとしての姿がすてきでした。また、武田信玄に仕え、最後は家康の家臣鳥居元忠の妻として伏見城の戦いで散っていった千代は、巫女(みこ)ならぬくノ一としてのニヒルな表の顔とは対照的に、内面の情の深さに泣かされました。
当時、彼らの一番の役目といえば――情報収集。ちまたに紛れ、人に知られず情報を集めるため、忍者は時に応じて姿を変えます。それは「七方出」と呼ばれ、「虚無僧」「出家(僧侶)」「山伏」「商人」「放下師(曲芸人)」「猿楽師」「常型(農民や武士)」の7種類とされています。役者さんの七変化のように小道具や衣装を使って姿を変えていくのです。この中でも、我らが甲賀忍者は「山伏」によく姿を変えていたといわれています。飯道山(甲賀市水口町三大寺)の修験者に身を変え、神札、祈祷(きとう)札を配り、各地を巡って情報を集めたとされます。
また「山伏」とは山岳修験者のことで、甲賀忍者は山岳兵法にも長けていました。戦乱の1487(長享元)年、室町幕府九代将軍足利義尚が、幕府の命に背く近江の守護大名、佐々木六角氏を討伐しようと出陣した世にいう「鈎(まがり)の陣」をご存じの方も多いと思います。甲賀忍者はその戦いで、地の利を生かして山中で奇襲攻撃をしかける▽気象条件を利用して霧をわかせたかのようにみせる▽忍術書に書かれる火薬の技術を使って火や煙を放つ―など、得意のゲリラ戦法や忍者の知識と知恵を使って自陣の六角氏を守ったといわれています。これを機に、望月出雲守を筆頭とする甲賀武士団の神出鬼没な戦術や高い戦闘能力が「甲賀忍者」の名を世に知らしめるようになったのです。
甲賀流忍術屋敷では、忍者の「七方出」の時に使ったとされる持ち物や、忍者の秘伝書、火薬の道具などが展示されています。
ところで望月出雲守って誰?と思われる方も多いと思いますので、少々ご説明させていただきます。
甲賀流忍術屋敷の望月氏の起源は、信州(長野県)にさかのぼります。もとは国司である滋野氏から滋野三氏と呼ばれる望月氏、海野氏、根津氏に分家し、平安時代の「平将門の乱」で功績をあげた望月三郎兼家が、朝命により近江国甲賀の地を拝領したことから始まったといわれています。後に武士団を形成し、望月出雲守は甲賀五十三家の筆頭格として「伊賀の服部、甲賀の望月」と並び称されるようになりました。服部氏は服部半蔵で有名です。
望月という地名は、現在も信州に残っています。武田信玄の望月千代も少なからず関わっているのでしょうか。大阪冬の陣、夏の陣で名を残した信州上田の真田幸村の起源も滋野氏です。
今回は、甲賀忍者の「七方出」や「望月出雲守」について、ほんの少しだけお話をさせていただきました。甲賀流忍術屋敷には、長い歴史の中で培われた巧妙な「からくり」などもございます。これを機会に少し興味を持っていただけた方、もっと深く知ってみたいと思われた方、ぜひ甲賀流忍術屋敷にお越しください。新たな発見をしていただけることと思います。
甲賀流忍術屋敷・木村昌美
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